去年のことだけど、うちの会社で行っていたプロジェクトが大失敗した。

要因はいろいろあるけど、じゃあなんで、そのプロジェクトが失敗したかって言う会議を徹底的にやった。自分がかかわっていたプロジェクトだったから、十分自分にも非があることは理解していたが、極力客観的に思考し、企業として何が足りなかったかを、自分なりに整理し、発言した。

その時の場で、よく指摘されたのが、
「お前には責任感が無いのか?」
直接的ではないにしても、そういう意図の批判を受けた。

自分が悪かったことは十二分に反省しているので、私は、極力それ意外で会社として、そういう危機要因に対して、どうアプローチして行くべきか、と論じたつもりだが、どうもそれが自分の責任を、会社へ転嫁していると認識されているようだ。

例えば、私が出したプログラムの不具合や、顧客との打ち合わせの理解の差異などの問題について、
「不具合については、発生するものとして組織としてテストやフォローをすべき」
とか、
「お互いの認識違いもあるものとして、常に二人体制で打ち合わせに臨む」
とか。

しかし、
「不具合は出した奴が悪いのであって、そいつが気を付ければ良いことだよね?もっとテストやデバッグをしろよ」
とか
「認識違いなんて、議事録や打ち合わせ資料を作成して、お互いのコミュニケーションをしっかりしていれば問題無い」
とか。

結局個人のスキルが問題である、という認識が捨てられない人の多いこと多いこと。

その打ち合わせで、いろいろ決まったよ。不具合を出さないために、設計書をもっと整備する、とかお客の業務理解を深めるために、レビューを行うとか。出荷前に出荷判定をするとか、設計書レビューも行うとか。

一切やってない。

せっかく夜遅くまで話し合って決まったことが、一切行われていない。

私は何故だろうって考えた。そのプロジェクトの当事者だったので、もうそんな失敗は嫌なのだ。だから真剣に考えた。そして出た結論が…。

「結局プロジェクトの失敗を、社員の失敗として捉えていて、会社の失敗として捉えてないんだな」

ってこと。私たちのような中小のIT屋って古くからの伝統と言うか、個人のスキル任せのようなところがあって、個人のスキルの集合体が、企業の力のような感覚。

この問題に気付いていないんだよね。

結局個人のスキルなんて限界がある訳さ。そのスキル任せである限り企業にも限界がある。そこを乗り越えるための、ビジネスモデルだったり、標準化だったりする訳だが…。


古い人間ほど「コミュニケーションって言うものは、技術である」ということを理解していないことに絶望している。技術と言うからには、訓練によって誰でも出来るようになれる可能性はあるが、純然たる個人差は存在する、と言うことを、わかった風なことを言っているが、本質は全く解っていない。

その良例が「ホウレンソウ」だ。

よく「ホウレンソウ」は企業を強くするって言うじゃない?で、こういうセミナーを開く人ってば、「ホウレンソウ」は「誰でも出来る前提」で話をするでしょ?「報告」「連絡」「相談」もコミュニケーションのひとつで、コミュニケーションであるからには、その技術に個人差がある、ってことに全く触れないよね。

触れないんじゃない。解ってないんだよね。コミュニケーションは技術であることに。

よく解らない?
コミュニケーションをプログラミングに置き換えれば解り易い?
例えばExcelのVBAマクロのプログラミングだけど、解らない人って全然解らないよね?でも、こんなものは勉強すれば誰でも出来るようになる。

ただ「その出来る」のも個人差はあるよね。もちろん得手不得手もある。当たり前だよね?

じゃあ、コミュニケーションも同じだよね。訓練しているならば、それなりに出来るけど、得手不得手はあるし。出来ない人は全く出来ないんだよ。

今回のプロジェクトの失敗の分析でも出たよ。んで、それが全てを解決する魔法の言葉になっている。

何故そのプロジェクトが失敗したか→「ホウレンソウ」が足りなかった
 ↓
その解決法は?
 ↓
「ホウレンソウ」をしっかり行うこと。


もうね。平気で上記のような結論を出すって、そりゃあもう思考停止ですよ。

「ホウレンソウ」を徹底させるって言うことって、一見すると会社全体で問題解決したように見えるけど、結局その「ホウレンソウ」を行うのって言うのは個人であって、その個人の力量次第では不十分になる可能性はあるよね。

結局「ホウレンソウ」を徹底するって言うのは個人の努力次第ってことに帰結する。

なので最終的に「企業としての問題解決は個人の力量で決まる」ってことだよね。


意図的か無意識かは別として、「何故プロジェクトは失敗したか」っていう命題に対して、いろいろな解決策を出しても結局個人の力量次第だよね、っていう結論で、じゃあ皆頑張ってね、で終わり。

よく言うよね。


会社と言うのは、ひとりひとりの頑張りにかかっているんだぁ!



これって変だよね?企業としての責任回避だよね?


そう訴えても、なかなか理解されない。

コミュニケーションが技術であることが、理解されない

「ホウレンソウ」が出来ない、って言うことが理解されない。

それは責任転嫁だってさ。


まぁ、それが限界なんだよね、結局。